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 2012/05/14  自分を鼓舞すること


 悲しみは、毒である。悲しみは、孤独であることから、生まれるのではなかろうか。人間は、誰しも孤独であるから、放っておいたら、悲しみにまみれる。その悲しみの毒を周囲にまき散らすと、人は寄り付かなくなるから、さらに孤独になるという悪循環。

 どんな悲惨な状況のなかでも、笑って生きること。愛とは、鼓舞すること。自分も他人も。だから、どんなときも、自分の心を奮い立たせ、鼓舞していかなければならない。

 この心を奮い立たせる力が弱くなって、自分の心を奮い立たせるために、他人の悪口を言う、という状況が発生する。この毒がまた、第三者にとっては、猛毒となってまわってくる。それで、「そして誰もいなくなった」という状況になってしまう。

 自分の心を奮い立たせること。それは、自分の歓びに集中することだろう。自分の才能を認めてくれる人は、自分と神様だけがいればいい、というくらいの気持ちで、自分に集中していけばいいのだと思う。他人に認めてもらおうと思うから、孤独地獄に陥ってしまう。

 わたしは、80歳まで現役で、「月の舟」での仕事を続けていきたい。もっとひとつひとつの授業の完成度を高くして、もっと勉強して、たくさんの受講生の方々と文学作品を味わっていきたい。その歓びに集中したい。「月の舟」がある限り、わたしは孤独ではないし、ユタカがいる限り、わたしは孤独ではない。そして、そのふたつがなくなったとしても、いつだって、わたしは豊かであるだろう。

 2012/05/09  これでよし


 今年で55歳になる。しかし、自分の心については、「あら、わたしって、こんなことを考えていたの?」と思うことが、最近とくに多くなって、驚いている。

 あることに、ずっと拘っていた。そのことをいろんな人と話しているなかで、先ほど、気がついた。「なめんなよ」という言葉が、わたしの奥底から発せられたのだ。「わたしをなめんなよ」「みたけきみこを見くびるなよ」という言葉。それで、本当の自分の気持ちがわかって、爽快な気分になった。わたしを「なめた」人に、直接その言葉を言ったわけではないが、第三者と話をしているうちに、その言葉がふっと発せられたのだった。

 うちのユタカが言う。「あんたは、間の抜けた顔をしているからね」。
 確かにそうだ、と思う。それで、理不尽な扱いをされることが結構、ある。それはきっとみんなそうなのだろうけれど。

 それにしても、「なめんなよ」という言葉が、自分の口から発せられたとき、何だか自分が愛おしかった。「これでよし」という気分になった。なめたものの見方をする人は、だいたいパターンが決まっている。てきぱきした人だ。器用な人だ。それにくらべ、わたしは不器用である。だから、つい構いたくなるらしい。が、わたしは、かまわれることが、大嫌いなのだ。ほおっておいてほしい。別に褒められなくてもいい。目立つつもりは毛頭ない。しかし、何かすると、目立つらしいが、意図的なものでは全くない。したいようにさせてくれ。自由にさせてくれ。着ているものがチンチクリンだろうと、言動が突発的だろうと、貧乏だろうと、金持ちだろうと、他人にどんな迷惑をかけることになるのだろうか。

 他人のテリトリーに侵入する、言動にケチをつける、という行動は、何ものも生まない。良い関係性を持つことは、自分の世界を確立する以外にはない。これは鉄則である。自分がない。つまり、自分の愛するものがないとき、人は他人の世界に侵入しはじめる。ところが、これは他人の世界だから、いつまでたっても、交わることはない。わたしたちは、親子であろうと、夫婦であろうと、距離をもってつきあうことが、鉄則なのだ。

 ただし、自分の気持ちを伝えることはできる。たとえば、先日、ルイ君とリンが横浜に帰って行ったとき、わたしはとても悲しかった。このまま、ここにいたらいいのに、と叫びたかった。そんなにふたりで苦労しなくてもいいのに、と思った。けれど、いま、わたしたち夫婦が、働くシングルマザーであることを選択したリンを無理やり、自分たちの所にとどめておくと、リンは確かに生活が楽にはなるだろう。しかし、リンが成長することを、結局は阻んでしまうことになるのだ、と思い直し、「がんばってね」とただひとこと言った。「いつでも帰っておいで」とも言わなかった。

 「それでよし」と、いまは思っている。うちの娘たちは、よくがんばっている。わたしも、しあわせになるために、本当によくがんばっている。それ以上のことがあるだろうか。何もないのだ。

 2012/05/05  自由と幸福


 久しぶりに休みを取った。本当は、GWも仕事をする予定だったが、ルイ君が帰ってくるということで、授業を休みにし、さゆりちゃんにもお休みをあげて、臨時で茜さんに「月の舟」の受付をしてもらいました。けれど、「月の舟」から離れることなく、一日に何度か顔を出し、ルイ君も「月の舟」が大好きなので、「月の舟」のテーブルに、トミカのミニカーを置いて、集中して遊びます。おかげで、普段とあまり変わらない生活だったような。

 やはり、いつものように文学講座をバンバンやって、一日のうちに「読み」「書き」の時間がたっぷりあって、という生活が大好き。明日から、23日まで連続18日ほど授業やイベントがあるけれど、そういう毎日を、わたし自身が欲しているのだ、と思う。

 それに、ルイ君のお世話をしていて思ったのだけれど、ルイ君と遊ぶときは、それに集中する、娘のリンと話をするときも、それに集中する。ユタカとの晩酌も、料理作りも、ひとつひとつを丁寧にやっていると、仕事の時間もまた集中できるのですよね。そして、他人の行動やら何やらを、あげつらわないこと。「これをしたら、だめ」「これはこうしなさい」などという支配者タイプの人とは、一緒にいるだけで、どんと疲れる。

 これまで、子育てもそうだけれど、ユタカとの暮らしのなかで、最も大切にしてきたものは「自由」。ただそれだけのような気がする。誰にも気兼ねすることのない、いまの生活を求めてきた。夫婦がお互いの時間を支配するようになるなんて、考えただけで、ぞっとする。「おまえ、おれの仕事に支障のないように働けよ」なんて、偉そうに言う男の妻になんて絶対にわたしはなれないな。子育てもしかり。子どもを思い通りにしようなんて、恐ろしい。もちろん、しつけは大事だけれど、それ以前の問題として、わたしたちひとりひとりの存在が尊重され、自由が尊ばれること、それが何より大事。

 つまり、自由とは、他人を支配しないこと。支配しようとしないこと。

 最近、アランの「幸福論」がはやっているそうな。この本は、高校時代に読んだ。不幸とは、嘶く馬のひずめに突き刺さった釘のようなものだ、という記述が忘れられません。その通りだと、あの当時もいまも感心します。もう一度読みなおして、読み終わったら、明日横浜に帰る娘のリンに持たせてあげよう。作家・宇野千代さんも、この「幸福論」がお気に入りだったよう。

 幸福とは、意志である。人間はほおっておくと、悪い思考にとらわれ、ずるずると野蛮になってしまう。が、人間は人間であるように意志して、幸福にならなければいけない。

 そして、幸福であるためには、他人と比べない。自分が何をしたくて、何ができて、何をするべきか、そういうことに集中しなければいけない。そして、プロの仕事をするべきだ。

 さあ、明日からまた、仕事。楽しみ。だから、今日は、とことんルイ君との時間を大切にしよう。神様、自由と幸福をありがとう。

 2012/04/30  世界のみたけになる!


 今日で、4月も終わり。光陰矢の如し。毎日が充実していることが、本当にありがたい。昨日の金峰・笠沙文学散歩事前勉強会も30名近い方々に来ていただきまして、本当にありがとうございました。もう10年以上もおつきあいしてくださっている方々、はじめて受講される方々が、実に熱心に勉強されるお姿には、深く感動するみたけです。その期待を裏切らないように、わたしもいっぱい情報を携え、整理してお話していますが、昨日のは、ちと「日本書紀」への言及が足りなかった。「日本書紀」はまだきちんと読みこなしていないので、どうしても「古事記」を中心に語ってしまう。なでしこクラスの皆さん、復習みたいになって、ごめんなさいね。本番では、「日本書紀」をばっちりと語りますからね。

 実は、おとといから体調が悪く、土曜日に病院へ行った。風邪のひき始め、とのこと。疲れもたまっとるわいな。何しろ、休みがない。今日、「月の舟」は休みだけれど、わたしは短大非常勤の仕事が入っているので、休みなし。それでも、嫌だな、という感覚は全くなく、学生さんたちに会えるのが、何よりの楽しみ。そして、授業をすることが、わたしの生きる原動力であることを、思う。

 おとといの夜、いろいろとわたしの身体を心配してくれるユタカに、宣言した。「わたしは世界のみたけになるのよ。だから、休め、とか、もう少しゆっくりしたら、とか言わないで」と。そう言いながら、涙が出た。「月の舟」を出してからの緊張感などでいっぱいいっぱいになっているわたしだけれど、ユタカに対して、良い妻をしようとするあまり、いろいろと気を遣っているのに、いつもの彼の能天気な、つまり優しい発言に対して、イライラしていた。わたしは頑張りたいのよ。だから、あなたに対して、もう気を遣わない。200パーセント頑張りたいのよ。そんなことを次々に言いながら、「あら、わたしって、こんなことを考えてたの?」と思ったのが、何とも不思議。

 本当に、彼のために何かをする、たとえば、ご飯を作る、というようなことをやめよう、と思った。ご飯も勝手に自分で食べてよ。良い妻なんかしないからね。ふたりで晩酌するのは、何よりの楽しみだし、朝食は大事だし、料理はわたしの大事なストレス解消策だから、料理は楽しんでやるが、彼に気を遣うのは、昨日ですっぱりと止めた。

 そうしたら、「世界のみたけになる!」という発言が、わたしの奥底から発せられて、自分でもびっくり。わたしは、心の底から、200パーセント自分の能力を発揮したいのだ、と思った。それは、世界的に有名な人間になる、というのではなく、自分の能力をとことん発揮したいのだ、という思いに他ならない。もっと勉強して、もっと健康に気をつけて、最高の授業をする。感動する文章を書く。いっぱい読書をする。その上で、ユタカと仲良くし、受講生の皆様を大切にし、スタッフを育て、娘たちを気遣い、よく遊び、よく学ぶ。

 昨夜は、「かごしま屋台村」へユタカとふたりで行って来た。長島のおいしいお魚を食べさせるお店「チキン野郎」も出店しているということで、そこへも行った。立ち飲み屋台である。立ったまま、焼酎を飲み、お刺身を食べる。焼酎がなくなると、お店の女の子がやってきて、「おかわりいかがですか?」と聞く。「えらいもんだ」とうちのユタカが感心する。きちんと商売というものを考えている。そろそろおしまいにしようと思って、「お勘定」というと、すぐに計算する。2000円、と彼女は朗らかに言う。端数は四捨五入してるんじゃないか、とも思ったけれど、こういう「生きてる」って感じの女の子に久しぶりに会って、いいなあ、と思った。

 地べたを這いつくばってでも、生きる。自分の能力を最大限に発揮して。とことん働く。働くことが生きること。あの若い端数を四捨五入するような女の子には、まだまだみたけは負けていられない。世界のみたけになるんだからね。今日も授業だ。

 2012/04/26  夢を掘り起こす


 わたしのことを、「あなたはお嬢様だからね」という人は多い。お嬢様、というのは、その人の働き以上に、お金が入ってくるシステムを言うのではないだろうか。だとしたら、わたしは生まれつきお嬢様なのではなくて、自分がお嬢様であるようにしむけてきた、あるいはそういうシステムを作ってきた、と言える。

それに、「お宅は、旦那がいっぱい稼いでいるからね」と言われる。確かに彼はよく働いているけれど、そのお金は全部、娘たちの教育費に消え、わたしに生活費としてわたってくることはない。それに、わたしは彼がどれだけ稼いでいるかは、よく知らないのだ。きっと、彼が会社でもらう給料と同じくらい、わたしはいま稼いでいるんじゃないかな。仲良しの夫婦でありながら、経済的には、全くの赤の他人だ。そこが仲良しの所以ではないかな。

 あぶく銭は身につかない、というのは金言である。自分の身ひとつではじき出す稼ぎ以上のものは、身につかないのだ。わたしはこの30年の仕事人生で、そのことを身を持って経験した。

 わたしの身ひとつで稼ぐ。健康に気をつけながら。あと20年はいまの調子で大丈夫。行ける、と踏んでいる。あとは、誰かよき後継者を育てていきたい。文学を語れる人はいくらでもいるけれど、文学で人を幸福にする、そんな人はなかなかいない。まずは、この20年で、わたしがモデルとシステムを作ろう。

 夢は、他人のなかから掘り起こす、と言った人がいる。名言である。自分の夢は、たとえば、「月の舟」をオープンするとか、霧島に家を建てるとか、個人的なものであるようでいて、実は公的なものでもある。みんなの喜ぶ顔がみたい。それだけだ。「月の舟」にいらして、笑顔になっていただく、それだけでいい。霧島の家で娘たちと孫がくつろぐ。それだけでいい。

 ひとりの時間を、わたしは魔法のようにつくり出すことができるようになった。その時間にも、夢をいっぱい紡ぎ出す。読んでいて楽しくなるような物語を書こう。あそこへ旅をしよう。この話をみんなにしよう。

 夢を掘り起こすことは、人生の醍醐味だ。

 2012/04/25  絶対的信頼感


 まるで趣味のように、延々と夫の悪口を言う妻たち。 
 まるでゲームのように、延々と妻を罵倒する夫たち。
 わたしは、この光景が、とても嫌いだ。
 夫婦あい和してこその、地球平和ではないか。
 お互いを罵りあうのは、絶対に自分が上だ、という優越意識からではないのか。
 力で相手をねじふせようという、力の論理だ。

 「あなたの旦那は、特別よ」とよく言われる。
 そうかなあ。たしかに変人で、宇宙人じゃないかと思うときもあるけれど、彼は、結婚生活25年の間、ずっと紳士的で情熱的な夫であったし、いつもふたりで相談して、いろんなことを決めてきたから、彼に対して、絶対的な信頼感がわたしのなかにはある。
 彼もまた、わたしが一日も休まず、文学の勉強を続けていることや、子どもたちへの接し方、文学講座生への気配り、料理のセンスなどを、きちんと見て、褒めてくれる。
 もちろん、取っ組み合いの大ゲンカをすることもあるけれど、それこそ、心の奥底を見せて、翌朝は、すっきりさわやかになり、さらに仲良くなる。

 言いたいことを我慢することが、良き妻のつとめ、と言う人があるが、それは違う。言いたいことを我慢すると、それは心の中に蓄積され、腐り、ヘドロ状になり、言葉にしたときには、まるで蛇か蜘蛛くらいの毒性を発揮する。さっさと言えばいいのだ。言葉を飲み込んではいけない。そうしたら、ケンカは5分で終わる。

 心の奥底を見せる態度を、つね日頃から夫婦間で培うのだ。かっこつけている夫婦の間には、心の交流がなく、いつのまにか冷たい空気だけが漂う。心の奥底は、基本的に信頼できる人に見せるべきで、その信頼感を醸成することが、よりよき夫婦関係のコツだと思う。

 あとは、相手の核となる領域に踏み込まないこと。人間関係の下手な人は、相手の大切にしている領域を平気で侵犯する。それを愛だと勘違いしている。それは愛ではない。支配だ。だから、夫婦といえども、相手の大切にしているゾーンには立ち入らない。それがまた、よりよき人間関係のコツでもある。

 今度新しく建てる霧島の家は、書斎が南向きの8畳で、ユタカとふたりで使うことにしている。わたしの大切なひとりの時間を過ごす書斎だけれど、彼と一緒でも平気なのは、お互いが勉強している邪魔はしない、という絶対的な信頼感があるからだ。

 お互いを尊重しあう態度。夫婦関係は、それに尽きる。いや、それはすべての人間関係に通じるのではないか。

 2012/04/23  ゲリラ戦


 今朝、起きぬけにいやでも目に入る夫の寝顔を見ると、眉間にしわを寄せ、苦しそうに寝ている。ついさっきまでは、いびきをかいていた。男が50歳を過ぎると、急速に生命力が衰え、疲れた感じが全体を覆う。

 こちらも気を遣って、食事など野菜を増やし、あれこれ用意して、愛のモチベーションを高めるが、こうも毎日疲れたような顔を見せられると、粗大ごみに出したくなる。ああ、鬼嫁のわたし。

 今朝のわたしたち夫婦の会話。
「月曜日の朝から、そんな疲れた顔をして!運動するとか、趣味を持つとかしたら?」
「趣味はあるよ」
「何?」
「きみこ!」
 わたしが趣味と言う夫。以前は、変態性きみこ依存症と言っていた。この話をすると、みんな「おのろけですか?」と返してくるが、「バカじゃないの?うちの旦那は」というのが、わたしの本音。

 最近、わたしはさらに燃えている。もっと成長したいという意欲に満ち満ちている。疲れた旦那にかまっている暇はない。「寝たきりになっても、介護しないからね」と暴言を吐くわたしに、「おれの老後はおれが決める」と気合いの入った言葉が返ってくる。そうだ、そうだ、それでこそ、わたしの旦那だあ!

 今朝、午前5時半に起き、午前7時までに朝食を済ませ、出かける準備ができた。ユタカも久しぶりに午前7時前にマンションを出る。わたしも午前7時出勤がようやく習慣化しそうだ。

 ユタカが出かけてから、紅茶を飲みつつ、「僕は君たちに武器を配りたい」という本を読む。滝本哲史さんという京都大学の先生の本だ。変化の激しい現代を生き抜くためには、唯一の人になること、エキスパートでなくスペシャリストになること、信者をたくさんつくれ、しかし、自分の頭で考えない人を自分の近くに量産するな、投資家的に考えろ、つまり自分の頭で考える、あらゆることを自分で調べて、考えて結論を出せ、などなど、読んでいて元気になった。一時間で読みきって、それから出かけたので、午前8時出勤になりましたけどね。ちなみに、今日はオフの日ですが、仕事して、午後からも短大の授業です。

 自らが動いて夢中になりながら手に入れた知識だけが、社会に出てから本当の意味を持つ。自分の力でやったことだけが、本物の自分の武器になる。そんなことも書いてあり、わたしは自分に自信を持った。なぜなら、わたしは自分で自分の仕事や人生を本気で切り開いてきたし、誰もモデルのいないなかを、自分が新しいモデルになるように頑張ってきたから。

 わたしは「自分」を武器として、ゲリラ戦を今後も闘っていく。わたしの文学に関する知識、健康、人間的面白さ、(美貌とおしゃれなところ)が、わたしの武器です。カッコでくくったところは、自分で自信があっても世間がみとめないところ(笑)。

 そして、最大の武器は、実はうちのユタカなんだよね。わたしにとっての最大の支援者・ユタカ。その彼が元気がないようでは、わたしも力がなくなるではないか。夫よ、わたしの武器になっておくれ。それはわたしが楽をする、というのではなく、さらにお互いに成長し、この厳しい時代を生き延びていくために。

 そして、仕事において、スタッフがわたしの武器だ。さゆりちゃん、もっと成長しておくれ。知識、思いやり、愛、気配り、日本一のマネージャーになっておくれ。馬場さん、日本一のカメラをお願いします。ぜんチャン、日本一のツアーコンダクターになっておくれ。わたしも日本一の文学者になるよ。文学作品を深く読めて、楽しく書けて、素敵に踊れる?文学者をめざすぞ。

 文学講座の受講者の皆様にも、これから講座修了証を出して、どこでも教えられますよ、というシステムを作っていこうと思っています。たとえば、「古事記」を全部学んだら、「古事記」修了証、「万葉集」修了証、「源氏物語」桐壺の巻修了証、というような感じで。

 皆さん、一緒にもっともっと学んで、この時代をゲリラ戦で生き抜きましょう。

 2012/04/20  モーニングノート


 ここのところ、フェイスブックが楽しくて、そっちの方に毎日書き込みをしているので、この「みなみ風日記」の間隔があいてしまっている。しかし、もっと書こう、と思っているので、いつもこの日記を読んでくださっている皆様、お見捨てなきよう。

 昨日は、源氏物語を朝、昼、夜の三講座こなし、その後、スタッフの馬場さんとユタカの3人で、バー「遥」へ。歌いまくりましたとも。天地真理「思い出のセレナーデ」あおい輝彦「二人の世界」「3人家族」。

 あのときは何気なく会ったあの人が
 なぜか心に沁みる 淡い恋心
 この広い空の下
 ぼくのさがす しあわせは
 あなただけ あなただけ

 この「3人家族」の歌詞は、本当に痺れる。感動する。木下恵介アワーのテレビドラマだったのではないかな。竹脇無我、栗原小巻、森繁久弥の3人家族。テレビドラマの主題歌だったはず。午前7時から午後9時まで働いて、そしてカラオケで歌いまくった昨夜の、わたしの脳に、この歌詞がこびりついて、いま頭のなかでぐるぐると廻っている。

 わたしは、規則正しい生活が好きで、それが自分のパワーの源だと思っている。これから、午前5時に起きて、6時に朝食、7時に出勤して、一時間をこの日記書き、フェイスブックの書き込みに使うつもり。今より一時間早く起きることは、なかなか難しいけれど、ここ2、3日で習慣化してみせますよ。

 2012/04/16  地の底から語る


 昨日の合評会のことが、今朝起きぬけに、頭をよぎる。わたしがはじめて書いた物語に、皆さん、いろんなことを言ってくださった。最も印象深かったのが、「この出だしの文章はエッセイですか?語りですか?」というもの。なるほど、と一晩経って、納得がいく。確かに、あれは語りで書いたつもりが、エッセイみたいな見解を示す文体になっていたなあ。もっと地の底から湧き出るような語りでないといけないな。そして他の人が言っていた批評も、全部、ここにつながることに気がついた。うーん、ありがたい。全く自分では気がつかないものね。

 批評とは、「わたしのようになりなさい」とか「わたしの気に入るものを書きなさい」というのではなく、その人が表現したいことを手助けする、というのが、最も良い批評ではないか。表現者は、盲目的に書いていくので、その荒々しさの奥にある真実みたいなものを、やわらかく引き出してあげる。それが批評の本質であり、教えることの本質ではないのか。「創作研究会」は、いわばみんなが先生であり、生徒であるからね。

 それに、親子の間でも、そこには批評があるわけで、「わたしのようになりなさい」とか「わたしの言うことを聞いていれば、あなたは大丈夫よ」というスタンスは、抑圧だけがあって、自我の開放がなくなり、危険だ。わたしもそういう親ではないだろうか、ときどき反省してみるが、もうわたしの子育ては終わり、孫育てに突入しているので、これからもルイ君が行きたい方向をしっかりと見定めて、応援していこう。

 さて、今日は、鹿児島国際大学の講義が始まる日。どんな学生さんが集まるかな。昨夜は、創作研究会のメンバーと楽しく「月の舟」で飲んで、その後、マンションへの帰りがけに、ユタカとふたりでバー「13」へ行った。日曜日の夜なので、お客さんは多い。しかし、全員が若い女性。何しろ、そこのマスターはしびれるようなイケメンなので、女性のお客が多いのもうなずけるが、それにしても、全員女性ですよ。びっくり。男性客は、うちのユタカのみ。そして、イケメンのマスターは、他の女性客にとられて、話もできないので、ユタカとやたらしゃべった。こんなことなら、マンションの自室で静かに飲んでもよかったのだろうが、バーのカウンターで話すと、ひそひそ話っぽくて、話していることが真実みたいになるから不思議。

 そして、マンションに帰って、佐々木忠というアダルトビデオ監督の「快楽の奥義」「つながる」という本を、ユタカに勧められて読む。ユタカが昼間読んで、感動したという。確かに、良いこと言っている。目をみつめあって、セックスをする、ということが柱のようだが、結局は人間が開放されていなければ、セックスはできないし、快感も感じない、という論理だ。深く共感する。現代社会は、簡単にHな動画や写真を見ることができるため、人が肌を触れ合って、愛を確認する、という経路ができないそうだ。男性が女性と付き合うことが面倒になるそうだ。

 なるほどねえ。だから、イケメンマスターのバーに若い女性が群がるのか。女性の方が、自由を謳歌しているのに、それに見合う男性は、家に引きこもっているのではないか。なんというアンバランス。男性よ、立ち上がれ。

 昨日は、一日、よき学びがあった。奢ることなく、今日もまたみっちり学びの一日でありますように。

 2012/04/15  熟女とゲリラ戦


 今朝の朝食、ベーコンエッグ、水菜とミニトマトのサラダ、レモン添え、ヨーグルトにバラのジャムをかけたもの、紅茶、クラッカーにカマンベールチーズをのせて。それとイチゴ。

 あまりにしあわせすぎて、涙が出そう。ユタカ君、ありがとう。あなたのおかげで、きみこはしあわせです。なんてね。

 考えてみれば、天文館に「月の舟」を出してから、運がさらに良くなった。素敵な人と毎日会えるしあわせ。「月の舟」さえあれば、寂しくない。バラのジャムは、ゆかり先生に頂いた。昨日は、なでしこクラスの西馬場さんにたけのこを頂き、先週は、山下さんにグリンピースを頂き、外園さんにイチゴを頂く。母からもいろんなものが届く。

 いま、熟女が元気だ。バリバリにやりたいことをやっている。そんな人たちは、例外なく元気で、小金を貯めているし、健康に気を使っているし、溌剌としている。どうしようもない子どもの将来の心配なんてしないし、子どもの人生を食い荒らすこともしていないし、親族の運命を背中にしょうこともないし、親の介護も粛々とやり、実にあっぱれな人が多い。

 つまり、「個人」で動いているのだ。どうしようもない現実は、誰にだってある。それを自分が何とかしようとすると、だいたいにおいて、歯車が狂う。人間の力なんて、大したことはないのに、それを自分が何とかできるかのように振る舞うと、他人を不幸を増殖させる。運命は受け入れること。あとは手持ちの資産としての自分の能力をどこまで発揮できるか。できないことはしないことだ。できることを、楽しくやる。200パーセント、やる。

 これまでの良妻賢母的な生き方をやめて、ゲリラ戦で生きるのだ。あれがだめなら、こっちでいこう。マザコンの彼は橋の上から捨てて、もっと活きのいい男を探そう。完璧目指して倒れるよりは、中途半端でも生き続けることが本当に大事。

 今日は、午後から創作研究会。わたしの物語の合評会。楽しみだね。



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